国語通信 平成元年度 2年生(第1号 〜 第21号)

国語通信

平成元年5月15日(第1号)

私は、祖父がなくなった日の朝に、自分が死んだ夢を見た。「自分の葬式の夢を見た」と母に話した直後に、それを知らせる電話がかかってきた。祖母の家は自宅から車で10分くらいのところで、私は前の日に祖母から「自分が死んだ夢を見るのは、誰かが死んだ時だ」と聞かされたばかりだった。そのころ祖母は、冬から春へと雪がとける早さと同じように、こわれる前の機会の調子が突然良くなるのと同じように、目や耳が急に良くなって、そして亡くなってしまいました。<女>


今日は朝から先生に呼ばれて、反省文を書かされた。僕の一生は反省なのかなあ……。<男>

平成元年5月20日(第2号)

この1周間、テスト前ということで、少しでも暇になったら何時間か勉強をして、少しでも覚えようと必死だったが、あまり効果はなさそうだ。勉強時間をいつもより増やし、集中しようとはちまきまでして勉強したのに、覚えていた期間は2日足らず。その勉強を毎日続ければ良かったのだが、そうはいかない。<女>


勉強しないといけないのに、結局、自分に甘いから何もしないで次の日が来る。先ず私は、自分に厳しくすることからはじめなければいけないのかな、と思う。
自分に厳しい、“がんばれ”!
人に優しい、“がんばれ”!<女>

平成元年6月24日(第5号)

ドンヨリ、ドヨドヨ、ドヨドリン。背中に子泣きジジイがのっている。ああ、目の前に砂かけババアが。
なんだか、目の前には妖怪だらけ。そんな気分。頭は重い。足は動かん。手はだるい。目はまぶたが閉じる。
いつまでたっても私には陽の光はあたらない。歩いているつもりなのに、前に進んでいるつもりなのに、どんどん後ろに下がっていく。<男>


「自分は何になりたいのだろう。何がしたいのだろう。このまま目標もなく生きていくのだろうか。自分は一体何だろう。存在しているのだろうか。何のために存在しているのだろう」ということを最近考えはじめている。答えの出せない自分がうらめしくて、答えの出ないこの問題に腹をたてて、毎日が苦しく感じる。特に家に一人でいると、苦しくて苦しくて、仕方がないくらいくらい苦しくて、でも、自分で何とかできずにいる。<女>


「学校やこ(学校なんて)、行きとうもない。やめちゃりてえ(やめてしまいたい)。やっちもねえ(くだらない)」と毎朝本気で思うが、なぜ毎日僕が来るかというと、なんかありそうな気がするという期待の感がするからだが、毎日が期待ハズレ、スカ。ええかげん腹のたつ先生やうっとうしい先生ばかりで、そいつらを全員敵にしてもいいから、自分勝手にしたい。勉強なんか石頭のヤツがやればいい。このクラスに僕はいらない……。
僕がいなくなると、みんなは、うっとうしいのがおらんようになってスッキリするだろうと思う。<男>


今、身体と心の機能を止めてどこか遠くへ行きたい。アルプスの少女ハイジのように、大自然の中でいきてゆきたい。<男>


「あんたは、何を考えとんのかわからん」
この言葉にどれだけ悲しんできたか。「あなたたちは何も知らない」とどなってやりたい。うわべだけの笑いなんていらない。心から笑うことだけでいい。心から悲しむことだけでいい……。<女>

平成元年9月21日(第10号)

昨日、僕達が作った気球があがった。僕は部をやっていたけれど、すごかった。運動場の人はほとんどが、「わぁー!」と言って見ていた。僕の弟も中学校から見たと言う。僕らが選んだ色はいい色合いだった。夏休み、毎日来てやったかいがあった。<男>


昨日は気球が上がった。こんなにうれしいことは生まれて初めてのようだった。布をぬっている時は、「すごい変な形だろうな…」と心配していたのに、すごくきれいに出来ていた。もう最高の気分で、「時がとまればいいのに」と何度も思った。高校生活の中で一番の充実感を味わえたと思う。一生懸命やれば出来ないことは何もない。一生忘れられない思い出です。<女>


私は整美委員の仕事のこれまで忘れて、熱気球を上げるのを見ていた。私が「絶対に上がらんな。ちょっとでもあがりゃええ」と思いながら見ていると、見事に10メートルぐらい高く上がって、感動してしまった。やっぱり、みんなでやると、たいていのことは出来るんだなあと思いました。<男>

平成元年10月17日(第15号)

推理小説を23冊読んだ。今24冊目である。しかも、今度は自分で一本執筆中である。できあがったら是非『小説新潮』の新人作品募集の欄に出してみたい。目標枚数は四百字で50枚。締め切りまで十分間に合うので,頑張ってみたい。<男>

平成2年1月20日(第20号)

昨夜、私の家の裏の子が亡くなった。私は今朝まで知らなかった。近所におばさんが教えてくれた。それを聞いて、母は「親孝行じゃったんかなあ?」と言った。その子は、もう3年ぐらい前から身体障害者だった。母の言葉を聞いて、「他人は何とでも言えるけど、親から見れば、いくら体が不自由でも生きていた方が良いと考えるのではないかな」と思った。まだ小学生だったのに、学校にも行けず、外にも出られず・・・。今、両親はどんな思いでなくなった子を見ているのだろう。<女>

平成2年1月27日(第21号)

妹に「私は、お姉ちゃんみたいにならんもん」と言われ続けている。今春中学生になる妹は、負けず嫌いで勉強も熱心にやっている。ひとえに「姉ちゃんみたいになりたくない」という気持ちからだろうか。そんなことを言われると、私は余程の怠け者なのだろうか。姉の失敗をじっと見て育っている妹に、そんなに情けなく写っているものかと情けなくもなるが、私をしっかり踏み台にしていく妹を見ると、何となく、ちゃっかりしているというか、頼もしくもなるから不思議なことだ。<女>


国語通信について

平成元年度〜平成10年度に発行された国語通信『今、ここで』からの抜粋で、株式会社評論社から平成12年3月(初版)に書籍として出版された『私の目は死んでない! ー 高校生通信『今、ここで』の10年間の記録』妹尾和弘 (編)からの再録です。